オランダに住んでいる人(30歳・♀)が送る限りなく異世界オランダ日記。
【どういう顔で次会えばいいのか】
私が住み込みで働くホステルに、面倒なお客様がいらっしゃった。
ウォークイン(予約なし飛び込み宿泊)だと思ったのだが、どうやら予約をしていたらしい。
だから、たとえ大声の泥酔野郎でも夜勤のフロントは無下に断れなかった。
しかし、確実に泊めるべきではなかった。
20代前半に見える男は「はい、説明とかいいから早く早く」と言いルームカードをもらい、エレベーターで上まで登り、階段でレセプションまで降りてきて「で?何階だっけ?」と聞いてきたらしい。
「だから言ったじゃん」と喉元まででかかったが、夜勤のフロントは常時クールな能面フランス人だ。
文句を言うことなく「最上階ですよ」と微笑んだ。
フランス人と、同じく住み込みで働くインド人、それに新メンバーのイタリア人を加えて地下のバーでビールを飲み交わしていた。
ここで私はこの面倒なお客様について初めて聞いたのだ。
私「完全に酔っ払いやん!」
インド人「さっき近くに行った時、酒の匂いめっちゃしたよ」
フランス人「いや、車から降りてきたから酔っ払ってるとは思いたくない」
言葉を失う我々。
すると、地下のバーへ向かう階段からドタドタと足音が聞こえてきた。
噂の張本人だ。
「彼女が大変なんだけど!」
大変にはさまざまな意味があるが、どれだろう。
一番大変なことは産気づくことだ。しかしその可能性は低いだろう。
盛大に戻したのか、服を剥く前に正気に戻って逃げられたのか。
駆けて行くフランス人とインド人を横目に、我関せずとハイネケンを傾けていた。
今日は日曜日。週末を他人のゲロで終えたくない。
しばらくすると、二人が戻ってきた。
最悪の言葉と共に。
「りんちゃん、彼女の方が屋上で滑って転んであばらが折れたっていうから、一応女性だし...確認してきてくれない?」
なんでやねん。
不幸にも私は、英語での「なんでやねん」を知らなかったので席を立った。
屋上の扉には「立ち入り禁止」と張り紙がしてある。
しかし、下に降りるのが面倒なお客様にとっては喫煙スペースになっているので、恐らくタバコをふかそうとして足元がおぼつかなかったのだろう。
客室をノックすると、まあまあ赤ら顔のスポーツカーを乗り回していそうな五分刈りの金髪男が出てきた。
背が高い割につぶらな瞳の彼はノリの効いた白シャツに身を包んでいた。
見るからに一張羅で、本命とのデートなのだろう。
「このホステルを訴える」
「訴える訴える!危険すぎる!」
「何でこのドアを閉めておかないの?」
「立ち入り禁止とか書いておけばいいじゃん!」
なんでやねん、張ってあるわ。
大声で叫ぶ彼の後ろは真っ暗闇だ。
同じく大声で彼女がベッドの上から何かを言っているが、オランダ語でも英語でもなかった。
言語ではなかったのでヤギがメェ〜と鳴いているように聞こえた。でっかいヤギがベッドに横たわっている。
あばらが折れた人間は、こんな大声で鳴くのだろうか?
最後の「意味わかってる?」の言葉にイラッときたので「はいはい、閉めておきますね。」と言って常時開け放たれているので、鍵の掛け方の分からない屋上のドアを閉めるふりをした。
翌朝、私は清掃のシフトだった。
最初にその部屋に入ったのがイタリア人だったのだが、彼は他の部屋にいる私の元に急いで駆けつけた。
「バスタオルに血がついてた」
滑って転んだのは本当らしい。それも大袈裟な話にしていると思っていたので驚いた。
しかし、私が気になったのはそこではなかった。
「床は?ベッドは無事?」
ベッドが汚れると、ゴミ捨て場までうんしょこらしょと運ばなければならない。
ましてやここは最上階。うちの狭いエレベーターにベッドが乗るのか試したことがないので分からない。
「それは大丈夫。タオルだけ。」
お客様に関して一切気にならなかった。
次お会いするときは法廷なのだろうか。
因みに面倒なお客様は、カードキーを渡して特に何も言わずに去っていったらしい。
酔っ払った次の日、どう顔を合わせたらいいのか分からない。
夜勤のフロントがいなくて心底ほっとしたことだろう。