【オランダの病院で働いている 2】
オランダの病院の食堂で働く日記。
職場にはズヴェッタという40代で初めて海外に出稼ぎに来た冒険者がいる。
彼女はこの職場で4人目のマケドニア人で、ここで長らく働いているディマスカの紹介で母国からこの食堂目掛けて出国してきた。
マケドニアはとにかく貧乏な国で、自国で勉強しても自国で稼げない。自国の大学を出ても海外では通用しない。
そんな思いから高校生の息子さんを海外の大学に進学させるためにお金が必要なのだそうだ。息子さんは現在親族が面倒を見ているらしい。
ここまでの情報はズヴェッタと一度話したことがある人なら誰でも知っている。
そう、彼女は頭の先から足の先まで口でできているお喋りなのだ。
ズヴェッタ「あんた何で出勤してるのさ」
私「最近買ったバイク」
ズヴェッタ「バイク!?何分くらいかかるのさ」
私「意外とかかるよ。45分」
ズヴェッタ「かかるわねぇ。でも公共交通機関よりましさね」
私「遅れてくるからね」
ズヴェッタ「そうよ。私なんか今日遅刻しかけたさ」
こんな感じで休憩時間はのんびり会話が途切れない。
ある日、息子さんの話も、少し年下の中学生の娘さんの話もたっぷり聞いたので、はて彼女と話していないことなんてあっただろうかと思案していると、急にマケドニアの映画を思い出した。
2019年マケドニア制作、アカデミーの長編ドキュメンタリー賞および国際長編映画賞を受賞したハチミツの映画だ。
ハニーランド。
その映画は仕込まれたみたいな理不尽な隣人が出てきたり、世界中どこにでもあるのかと親近感を感じる親子喧嘩が見られたりするマケドニアの山に暮らす養蜂家のドキュメンタリーだ。彼女はたった一人でハチミツを採取する。
「そういえば私一回だけマケドニアの映画を観たことがあるよ。ハチミツの」
ズヴェッタは”ハチミツ”と聞くだけで何か分かったようだ。
海外でだけ異様に人気で、本国ではそんなに人気じゃない作品は日本に数多あり、私は幾度となく「NARUTOめっちゃ好きでさ〜」から始まる会話を空気の抜けた風船のように終わらせてきた。
BLEACHならついていけるんだけどな、と思うが海外のNARUTO好きは何故かBLEACHを履修していない。乱菊さんのような爆乳キャラが嫌いなのかもしれない。あんなに乳がデカければフィクションでも肩が凝ってくるから嫌だもんな。
「それ知ってるわ」
「よかった。マケドニアでも有名なんだね」
「その養蜂家のお母様は亡くなったさ」
「そうなんだ。ご高齢だったもんね」
「そんで養蜂家は山を降りたさ」
「え?もう山に住んでないの?」
「そう。彼女は今やムービースターだから。首都に暮らしてるらしいさ」
「マジで。全然イメージできない」
「超有名人になったから、お金持ちのはず」
超聞きたくなかった事実である。
亡き母を思い、今は一人で山間の村に暮らしているわけではないらしい。
映画のヒットなんて耳に入らず、今も遠くの市場まで徒歩でハチミツを納品しに行っている彼女なら思い浮かべられる。
ましてや地元のテレビ局のインタビューに
「たくさんの人の元に映画が届いたようで嬉しいです。最近は私の家まで実際に私が住んでいるのかどうか確認しにくる方もいらっしゃって驚いています。いえいえ迷惑なんてとんでもないです、ありがたい話ですよ。起きている時は対応させて頂いていますが、いかんせん私も英語が苦手なものですから、ご不便をおかけしているかもしれません」
などと美辞麗句を並べてインタビューに答えている姿は想像したくない。
「そういう地元の人しか知らないような情報が聞きたかった」
ズヴェッタに礼を言っておいた。
私も誰かのファンタジーを壊すかもしれないので、
「NARUTOは日本でそこまで人気じゃない」とは今後も教えないでおこう。