オランダワーキングホリデー情報局

オランダでのワーキングホリデー(2021-2022)の情報基地。毎年200人行っているはずなのに全員地球からログアウトしたのか、情報が少ないので立ち上げました。

【今日の記事は重いよ】

オランダに住んでいる人(31歳・♀)が送る限りなく異世界オランダ日記。

 

 

【脱皮した】

 

オランダの片隅にて、ブログを収益化しようか一通り記事を読んだが、「うむ面倒くさい」とブラウザを閉じた愛すべきズボラの私がお送りする。

 

先日、やましたひでこさん監修、なとみみわさんのコミックエッセイ”1ヶ月でいらないモノ8割捨てられた!”を読んだ。

 

片付けや掃除の本を読むことが趣味なのだが、今までの片付け本にはあまり載っていない情報が記載されていた。

 

”モノを捨てられるようになったら、次はコト、最後にヒトを捨てられるようになる。”

 

 

 

今回は私がヒトを捨てた話をしたい。

 

このヒトを捨てるまでは3年の月日がかかった。

 

きっかけは私の友人がその人と喧嘩をしたと聞いた時だった。

 

共通の友人であったため、間に入ることも出来たのだが、私は兼ねてからその友人があなんだか苦手だったので躊躇った。

 

苦手な点は以下の通りだ。

 

・メッセージアプリに送られてくるメッセージの文字数が多い

 

・故に重たく感じる

 

・細かいことまでキチンと覚えているため、例えこちらの趣味が変わっていたとしても言い出しにくい

 

・故にストーカーのように感じる

 

・会っていない時にもSNSをチェックされており、次に会った時に「こういうことがあったらしいね」と私が話す前に「もう知っているよ」と釘を刺してくる

 

・故に最初は”なんでも知ってくれて嬉しい”だったが、段々と恐怖感を覚えるようになってきた

 

・たくさんの案を提示してくるが、最終的には自分の案が通るようにゴリゴリ押してくる

 

 

 

こうやって書き出すと、決してモンスターではないなと思う。

 

その友人はその友人のままで生きているだけだ。

 

しかし、初めて出会ったのは私が高校生の頃で、まだ10代だった。

 

つまり、10年以上の歳月が過ぎるにあたって私の友人自体は変わらなかったが、私にとっての居心地の良い友人関係が変わったのだ。

 

更には喧嘩の顛末を聞いて、言葉の波状攻撃の凄まじさを思い知った。

 

これは、怒っているとしても友人に向けられていい言葉の刃ではないと感じた。

 

それから少しずつ私も距離を置くようになった。

 

そしてついに、関係を捨てた。と、思い込んでいた。

 

 

 

距離を置いて遊び回らなくなった3年前でも、連絡先やSNSは相互フォローだった。

 

だが、こちらから連絡を取りたい気持ちはなかったし、SNSも文章を見たくないのでずっとミュートだった。

 

ここで、なとみみわさんのコミックエッセイを読んで気づいたのだ。

 

このうっすらと繋がっている現状に、果たして意味はあるのだろうか。

 

何故なら、3年経ってもこちらから連絡したい気持ちが湧いてこない。

 

そうして私はオランダにやってきた。

 

物理的な距離が今までと段違いで遠くなった。

 

オランダにいながら受け取る「明けましておめでとう」には礼儀で返信したが、新年早々私は思ってしまったのだ。

 

まだ連絡が来るのか。

 

ほとほとうんざりしているのに、そのうんざりした状況にしているのは自分だとやっと気づいた。

 

連絡先を消した決意の朝は、すがすがしかった。

 

私はやっとヒトを捨てられた。

 

そう書くとぎょっとするが、関係性を断つとはその人自身を自分の世界から消し去ることなので間違っていないと感じる。

 

これからも捨てては出会っての繰り返しだろう。

 

もっと好きなヒトに出会いたい。