オランダワーキングホリデー情報局

オランダでのワーキングホリデー(2021-2022)の情報基地。毎年200人行っているはずなのに全員地球からログアウトしたのか、情報が少ないので立ち上げました。

【オランダワーホリ2024:貯金140万減ったけど人生変わるから騙されたと思って行け】

こんばんは、りんちゃんです。

 

オランダがあまりにも乾燥しているので、毎晩鼻から鼻水だったものがポロポロ出てきます。

 

今回は手紙を書くつもりでブログを書きました。

 

  • ワーキングホリデー渡航前に不安で眠れない夜を過ごしている君
  • ワーキングホリデーに申し込んだはいいが何も告げずにキャンセルしようかなと思っている君
  • 何でもいいから面白いはてブを探している君

 

そんな君に朗報です。

 

私からの手紙があります。

 

 

拝啓:

 

申し込んだだけで満たされそうなのか、

頭の中には綿菓子のように甘い夢しかないのか、

不安で心の天気は毎日暴風雨なのか、

航空券を買うか否かで親指をうろうろさせているのか、

 

あなたの気持ちは分かりません。

 

だから私のワーホリを交えて、この一年がどれだけ私の心を動かしたかを伝えます。

 

読み終えた後はそっとブラウザを閉じてYouTubeに戻るもよし、オランダでの部屋探しに手をつけてみるもよしです。

 

私がオランダに興味を持った2014年は日本とオランダはまだワーホリ協定を結んでいませんでした。

 

ドイツにはある、イギリスにもある。

 

それも自分が物心ついた時からある。

 

だからこれからオランダがその仲間入りするなんて微塵も思えませんでした。

 

かといってオランダで日本語を活かした仕事を調べれば、日系企業はあるけれど、自分が今まで興味を持ったことのない物流関係でした。

 

私が長らく気に入って働いていた職種はホテルのフロントです。

 

とても「物流関係が私を呼んでいる」とは思えないかけ離れた職場でした。

 

それも正社員ではなくアルバイトでした。

 

私は日本で一度も正社員になったことがありません。

 

それを履歴書に書く時、いつもタイピングする指が震えました。

 

職務履歴書って、アルバイトは含まれないんじゃないの。

 

じゃあ今までやってきたローソンのアルバイトも、鮮魚売り場のパートも、番組制作会社の契約社員も、なかったことになる。

 

そんな履歴書という文化が心底嫌いでした。

 

しらすの踊り食いくらい嫌いでした。

 

私は幼少期、たこ焼きの上で踊る鰹節も生きているような気がして食べることができなかったくらい生き物が苦手でした。

 

ホテルを転職して民泊のフロントになり、民泊が経営不振で畳むとなった頃、私は仕事は流れていくものだけれど、

趣味があればどんなに仕事の形が変わっても、生きていけるという腹づもりでした。

 

その趣味とは旅行です。

 

そう、ここでオランダが出てきます。

 

年に一度、暑さほとばしる日本を離れて9月にオランダへ行くこと。

 

好きなチームの試合を年に一度ホームスタジアムで観ること。

 

364日画面越しにいるはずの選手を眼の前で観て「あ、ほんまにおんねや。ってか背高いな」と思うこと。

 

それが私の生きていてよかったと思う瞬間でした。

 

しかし、その趣味だって褒められたものではありませんでした。

 

私は年に一回家族と旅行に行くことで渡航費を浮かせていました。

 

その渡航費を持ってくれたのが父です。

 

私はワーホリでオランダを訪れるまで7回もオランダに訪れていますが、一度も渡航費を払ったことがありません。食事代も、ホテル代すら出したことがありません。

 

まるまる父の世話になっていました。

 

そのお姫様のような趣味も、コロナ禍で止めることになりました。

 

国外は愚か、国内旅行ですらしにくい環境になってしまったからです。

 

とにかく私はどこかに行きたかった、でもそれは叶わない夢でした

 

家に篭って好きなサッカー選手を観ていると、いつしか「何の為に生きてるんだっけ」と考えても仕様がないことが頭をもたげるようになりました。

 

何か次の仕事を探してもいいけれど、オランダに行けない人生って何なんだろう。

 

そんな頃、オランダと日本がワーホリ協定を結んだと知りました。

 

一日25時間徘徊しているXで、同じくサッカー好きの友人がRPしてくれたのです。

 

物流関係の資格を取る根性もない、人のお金で旅行して映える写真を撮る私。

 

自分のお金で大好きなオランダに住んでみようと決めました。

 

今まで散々父の脛をかじっていたワーカホリックにはお金だけはありました。

 

30歳手前まで人のお金で旅行していたド腐れ野郎の手紙だから既に読む気をなくしたかもしれないですが、

ご先祖様に誓ってワーホリのお金は父にねだりませんでした。

 

私はワーホリをきっかけに生きることに本気になったのだと思います。

 

あなたにもあったか分からないけれど、航空券を買った後っていうのは一番「何やってんだ自分」と後ろを振り返りたくなりますね。

 

買っちゃったんだもん。

 

何度「子供が勝手に押してしまいまして」と架空の子供を作ろうと思ったことでしょう。

 

航空会社の人を困らせたくなかったので、渋々空港に足を運びました。

 

いけない、嘘をつくところでした。

 

実際はめちゃくちゃ楽しみで不安なんて1パーセントもありませんでした。

 

ただ口を開けて自分がオランダで働けるようになるのを待っていたら、本当に働けるようになったからです。

 

もう夜中3時に起きて眠い目を擦りながらサッカーを観なくていいんです。

 

もう一年に一回セールでもない時にスタジアムショップに行って、高いユニフォームを買わなくていいんです。

 

これからはセールの時期(1月)に安いユニフォームが買えるのです。

 

オランダに行きたい気持ちは昂った、でもオランダでの実際の生活がイメージできないと言われるかもしれません。

 

「SUSHIってあだ名をつけられたらどうしよう」

 

つけられません。ただし、職場の機械や電化製品が壊れたら「直してよ。これ日本製だから」と無茶振りされることはあります。

 

「差別されたらどうしよう」

 

差別されません。あなたの身長は彼らには低すぎるので基本的に視界に入っていません。

 

ここで私があれが楽しかった、これが素晴らしかったと書いたとして、へそ曲がりなあなたの足しにはならないでしょう。

 

だから一つだけ、オランダがというよりはオランダで育った人が素晴らしいと思った出来事を伝えます。

 

友人が家に招いて食事を作ってくれた際、私が箸の文化で育ってきたため、白ごはんを炊いてくれました。

 

また、友人はこの日のために新品の箸を買ってきてくれていました。

 

彼は私にこう聞きました。

 

「どっちを使いたい?」

 

青と赤の箸のどちらで食べたいかを友人は選ばせてくれました。

 

黙って青色を使わない、こんな素敵な人が育つオランダはなんて魅力的なんだろうと胸を打たれました。

 

私は青色が好きでしたが、青色は男っぽい色だから家の中では使ったことがありませんでした。実家のお茶碗も好きではない桃色でした。

 

私は今度は自分が、彼と同じことができるようになりたいな、と憧れました。

 

オランダはそんな素敵な人がいるから、安心して行ってきてください。

 

行ってらっしゃい。

 

 

 

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