オランダに住んでいる人(30歳・♀)が送る限りなく異世界オランダ日記。
【くれるん?】
オランダの住宅街にて、しましま模様のご近所猫が全力で逃げるのでめげずにゆっくり追いかける活動をしている。
先日、初めて誤配送をしかけた。
バイト先のデリバリーでのことだ。
その日は日中のシフトで、暗くなってすぐ上がれることだけを心待ちにしていた。
配達先に到着すると、ご丁寧に建物の側面に部屋番号が書いてあるタイプのアパートだった。
大抵のアパートは、入り口付近の郵便受けまで行かないと部屋番号が確認できないのでありがたい。
さっさと入り口まで向かうと、オートロックの扉がなかった。
玄関に、扉がないのだ。
その奥から、エレベーターを待っているおじいちゃんが「やぁ」と声を掛けてきた。
私は一旦おじいちゃんを無視する形にはなってしまったが、開いているとはいえ向こうもいきなり来られたらびっくりするだろうとインターホンで部屋番号を呼び出した。
部屋の住人は出なかった。
しかし、オートロックは開いている。
もちろん中に入ることにした。
先程のおじいちゃんがもう一度挨拶してくれた。
「その服さ、前から思ってたけどかっこいいよね」
私のユニフォームはまばゆいばかりのオレンジ色だ。
夜道でも”あそこのデリバリーだな”と分かる、アホほどオレンジ色だ。
「ありがとうございます。ここっていつも開いてるの?」
私は後ろのオートロックだったであろう扉を指した。
扉ごと無くなっているのだ。
「そうね、一回壊れてそれからそのまま」
こういうことは国境を越えて起こるのだ。
多分、パプアニューギニア辺りでも起こっているに違いない。知らんけど。
おじいちゃんはパーマがかった見事な白髪だったので、ジャムおじさんに似ていた。
少々恰幅の良いジャムおじさんとでっかいリュックを背負った私。
なかなか来ないエレベーター。
二人乗り切るか分からなかったので、階段を使おうかと考えた。
ジャムおじさんは「ああ、こんなに小さい子も働いてるんだね」と私の肩に手を乗せてきた。
どっちの意味の小さいだろうか。
確かにジャムおじさんは身長180cmはあろうかという長身だ。
もし10代に間違われているなら間違われたままに越したことはないので黙っておいた。
そうこうしている間にエレベーターが到着した。
エレベーターに乗っている間に配達の品をカバンから出しておくのがルーティーンなので私はでっかいリュックのジッパーを開けた。
エレベーターが中華街の匂いに包まれた。
ジャムおじさん「いい匂いだね〜」
「中華なんです・・・」
別に自分が注文したわけではないが、少し恥ずかしいのは何故だろうか。
「それ僕にくれるの?」
このジョークも国境を越えるらしい。
「私も欲しいくらいなんで、あげません!」
私たちは同じフロアで降りた。
3階に到着すると、ジャムおじさんは「お先にどうぞ」と通路を譲ってくれた。
手押し車を押している彼のために廊下につながるドアを開けようとすると、ドアは自動で開いた。
「ああ、これ自動なんすね」
「そ、便利でしょ」
アパートはコの字形で、廊下は二手に分かれていた。
まずは右手に行くと、数字が若くなった。
つまり私の配達先はこちらではない。
左手に行ったジャムおじさんと同じ方向のようだ。
ジャムおじさんの部屋を追い越そうとすると、部屋番号”124”が目に入った。
まさに私の配達先だ。
「あれ、私の配達先ここなんですけど」
「え?」
「何か頼みましたか?」
「頼んでないよ?」
パニックだ。
先程まで会話の成立していたジャムおじさんだったが、ひょっとしてボケ始めているのか。
いぶかしげにレシートを確認してくれた。
袋の中身は中華四人前だ、配送先がここの訳がない。
ジャムおじさんは冷静だった。
「通りの名前を見せてごらん?あ、分かった。これ隣のアパートだよ」
「ほんとですか!うわー間違えた!教えてくれてありがとうございます!」
私は手を振り、踵を返してエレベーターに急いだ。
1:インターホンに答えなかったこと
2:オートロックが開いていたこと
3:部屋の住人がジャムおじさん本人だったこと
さまざまな偶然が重なって、最終的に「これ僕にくれるの?」をマジでしそうになってしまった。
デリバリーに関わらず、仕事に行く前は必ず”嫌だなぁ”という思いが去来する。
しかし、行ったら行ったで必ず思ってもみなかったことが起こる。
そして、毎回必ず”来てよかったなぁ”と感じる。
今日の”来てよかったなぁ”は確実にこのジャムおじさんのおかげだ。
ありがとう、ジャムおじさん。