オランダに住んでいる人(31歳・♀)が送る限りなく異世界オランダ日記。
【致死量の風】
オランダの住宅街にて、自転車ですっ転んだが、配達のシフトがやってきたので仕方なく恐怖症を克服した私がお送りする。
本日、オランダはコードイエローだった。
耳慣れない言葉だが、コードイエローとはコードレッドの手前だ。
コードレッドは台風規模の”風の強さ”が予想される。
つまり、台風手前の風速が予想されるため、オランダ気象庁(KNMI:カーエネミー)が警報を出してくれるのだ。
さて、ユトレヒト近郊に住み出して1ヶ月くらい経っただろうか。
本日、私は週一の気分転換として働いているライデンの寿司屋で配達だった。
もうすっかりユトレヒト市民になっていた。
海沿いの風の強さを忘れていたのだ。
ランチどき、風速は28だった。
因みに30に到達すると、走行中のトラックが横転する可能性のあるレベルの風速だ。
30に届いていないからといって安心してはいけない。
初めはまだ手を負傷していることもあってのろのろと漕ぎ出した。
傷のある左手は、添えるだけにしていた。
しかしものの5分で気づいてしまった。
この風、片手ではとても操作出来ない。
忘れてはならないのが、寿司屋の自転車は前かごの部分に風の抵抗を一身に受ける、それはもう自転車3台分くらいは受けられる配達ボックスがついているのだ。
ありがたいことに、品数か少なくてもボックスの大きさは変わらない。
ボックス野郎のせいで、完全にハンドルを取られる瞬間が何度もあった。
私は「あんまり握るとかさぶたが取れてしまうかも」と軽い恐怖を覚えながら、両手でハンドルを握り締めた。
私はこういう時に持っているタイプなので、配達先は3キロも先だった。
そしてそういう星の元に生まれたので、道中は専らカナル沿いだった。
大通りからカナルに出たところで、先ゆく2人乗りのママチャリのお母さんが、速度を緩め足を着いたのが見えた。
確かにかつてない向かい風だが、止まるほどではないだろう。
お子さんの安全のために止まったのか、えらいなぁと思ったのも束の間、
突風が斜め前から吹いてきた。
四角い配達ボックスは正面からの風には耐えられるが、斜めからの風にめっぽう弱い。
自転車がハンドルを切っていないのに右に曲がる。
私はすかさず左足を地面についた。
なるほどお母さん、これは無理だ。
自転車ごとカナルに落ちそうだった。
カナルに落ちてはならないが、風は”落ちろ”と言わんばかりに吹き付けてくる。
情けなく自転車を降りた私を、綺麗な金髪のお姉さんが颯爽と追い抜いた。
お姉さんは一人乗り、クソでかい前かご野郎もついていない。
コードイエローはオランダ人には朝飯前なのか!
オランダ1年目の新米の私は、とぼとぼと自転車を押していた。
ふと目線を上げると、先ほどのお姉さんも自転車を降りて押していた。
そうだそうだ、オランダ人とて無理は禁物だ。
なんせここで転けるとカナルに真っ逆さまだ。
3組が武者修行のように自転車道路を歩いていると、向かいから颯爽とスポーツバイクに乗ったおじいさんがやってきた。
スポーツバイク。
前かごもなく、スリムな車体なので風の抵抗も最小限におさられるのだろう。
私はこんな凍えるような寒さでハーフパンツを履いているおじいさん二人に心の中で敬礼した。
”オランダ人たるもの、コードイエローでもツーリングの予定は変えない。”
いや、危ないだろう。
おじいさんたちの顔は険しかった。
ぶつくさ言いながら配達先までもうすぐというところで、またしても自転車が傾ぐ風速になった。
私は迷わず足を着き、手押しに切り替えた。
見上げると、左手に三基の風車(オランダの牧歌的なアレではなく近代の風力発電)が見えた。
地獄じゃん。
風車が設置されているということは、もともと風が強い地域ということだ。
なんで今日ここに配達な訳よ。
大量に壁に貼り付けられた風車(かざぐるま)のようにぐるぐる目にも留まらぬ速さで回っている。
今まで見たことのない速度だ。
少し大袈裟に書いてしまったかもしれないと思い調べると、日本の風力発電は風速25以上は危険と判断し自動で止まるシステムもあるようだ。
つまり風速28の風車は、今まで見たことのない速度で間違いなかった。
そのまま羽が外れてごろごろと、こちらに転がってきそうな勢いだった。
転がる羽に潰されてプチっとコバエのように死んでしまわないよう、早足で配達先に向かった。
帰りは風車を避けるルートを選択し、無事に一度も転倒することなく帰路に着いた。
オーナーに「もうコードイエローの日は出勤しません」と、かわいい絵文字を足した本気の宣言した。