オランダに住んでいる人(30歳・♀)が送る限りなく異世界オランダ日記。
【百聞は一見にしかず】
私はオランダに旅行で訪れていた時は好きだったが、今は嫌いなものがある。
自転車だ。
専用道路をビュンビュン飛ばすし、身長を自慢するかのようにサドルがやたらに高いし、あいつらにはハンドブレーキがない。
これはホステルに住む他の国出身のメンバーも言っていたのだが、ハンドブレーキのない自転車はオランダ特有らしい。
少なくともインド、コロンビア、日本で主流ではないことを確認済みだ。
ペダルを止めてから、逆に回すと停止できる。
30年間ペダルを逆に回す、という習慣がない私にとってこれは相当難しい。
どのくらい難しいかというと、初日はホステルの駐車場のスケボー台に激突した。
駐車場にスケボー台があるの?という話はさておき。
止まれなかったのだ!
不幸中の幸い、ゲストの車じゃなくて本当に良かった。
駐車場は危ないので押して道に出てみたものの、そもそもサドルが高かったので乗れずに、ホステルの前で派手に転んだ。
道行く人が数人、目を丸くしていた。
サドルの位置がおへその上なのだ。
私がこの自転車に乗るためには、中国雑技団に入る必要がある。
なにこの自転車、曲芸じゃん。
その日は自転車に乗ることを諦めて、颯爽と自転車でホステルの別棟に行く仲間を見送った。
そう、別棟の清掃のために、毎日自転車で行く必要があるのだ。
とぼとぼと駐車場に戻ってきた私。
一部始終を駐車場のベンチで見ていたゲストが声をかけてくれた。
「どうしたの?」
ハンガリー出身のIさんだ。
Iさんは、このご時世らしくリモートで働きながらヨーロッパを旅しており、度々ホステルに泊まりにくる常連だ。
「自転車に乗れなくて置いていかれた」
肩を落とす私に哀れみの目を向けるかと思いきや、「今度教えてあげる!」と笑顔で言われた。
自転車から落下したばかりの私はこう感じた。
教えないでいい!
あんな高い自転車に乗れるわけない!
その後、Iさんと1ヶ月後に再開した。
「自転車乗れるようになった?」
「まだ乗れない」
「じゃあこの2日間、ミーティング終わった後時間あるから練習する?」
1か月経って傷も癒えた。
心のではなく、実際に打撲で青かった膝も治ったので、私は大きく頷いた。
「じゃあ今日のシフトは何時に終わる?」
「16時!」
「16時ね、オッケー。」
何故かこの日、Iさんをこれ以降ホステルで見かけることはなかった。
ハンガリーでは約束は基本的に全部「行けたら行く」なのだろうか?
しかし私はこの間、自転車を自分の腰の高さに調整することに成功した。
オランダでは、サドルの高さはいちいち六角レンチをくるくる回さないと調節できない。
DIY大好きなオーナーの工房に勝手に忍び込み、ありったけの工具を持って駐車場へ向かった。
使っていい工具か不明だったので、スリリングだった。
自転車を調節した甲斐があってか、2日後にまた会うことができた。
今度は自分から申し込んだ。
「今日、自転車教えて!」
子供だ。6歳かよ。
しかし一児のパパであるIさんは優しい笑顔を湛えながら言った。
「自転車はある?」
駐車場に着くと、Iさんは「ここか近くの公園で練習しよう。んー、公園にしよっか!」と提案した。
自転車に乗れないことをホステル中に知られたくない私への配慮だろう。
「日本で自転車に乗れなくてどう生活してたの?」
ここで私はやっと気づいた。Iさんは勘違いをしている。
違う、私は日本では自転車に乗れるのだ。
この国のバカ高いサドルは乗りこなせないが、この日のために調整した、あとは止め方が分からないだけなのだ。
「あの、自転車には乗れるねん!止め方がよくわかんないの!」
「はいはい、いいよ。恥ずかしくないよ。これから練習しよう!」
「違う違う違うマジで!強がりじゃないから!」
「はいはい」
全然取り合ってもらえなかった。
あの日、スケボー台に激突した私は衝撃映像だったのだろうか。
その後「後ろから持ってるからね〜」「離してないよ〜」「最初はみんなコケるよ〜」など数々の甘いの言葉を受け取った。
そして10分後。
「なんだ!スイスイ乗れるじゃん!」
Iさんと笑顔でハイタッチした。
私、言ったよ!
ずっと言ってたよ!?
画して初挑戦から1か月後、私はブレーキのかけ方を体得した。
出る時とは打って変わって明るい気持ちでホステルに帰ってくると、あの日私が自転車から落ちるところを目撃し、やむなく私を置いていったインド人のメンバーに会った。
自転車を停めようとしていたが、彼の前で自転車に乗って駐車場を一周してみせた。
「りんちゃん!!!!!!!乗れるようになったの!?!?!?!?」
彼にも「日本では乗れる」と散々伝えていたはずだが、もういいや。
「見て見て!!!!自転車乗れるようになったよ!!!!!」